兆しを掴むこと

何かを変えるためには自分が変わること

こんにちは。

年子と暮らす30代です。

家事をしていても仕事をしていても、何かと「わたし」以外の人がそばにいます。

人は思い通りにはならないもの。

当たり前だけれど、腹が立つ時もあります。

そんな時、心の持ちようはどうあるのが望ましいか。

仕事と子育て、どちらもしんどさに優劣はつけ難いです。だからこそ、この2つが身に起きていることに絶望せず、クリアできる課題として向き合っていきましょう。

1仕事では、「こういうわたし」

わたしが周りと軋轢を生まないよう、気をつけていること。それは、いま、演じているということ。本心なんて、あってないような時があります。

そう思った最初の記憶は小学生。

小学生の頃は学校と家とかが、わたしの世界観を形作っていました。ちっぽけな世界でしたが、そこにいるのが「わたし」です。

「わたし」は親から見ても、先生から見ても、「しっかりしている」子を目指そうとしていました。負けん気が強く、「できる」という気持ちが強かったのですね。

だから、悔しくても痛くても、合言葉は「絶対大丈夫」でした。

あの日々を思うと、我ながら頑固な子どもだと呆れてしまいますが、その当時はそれこそが「わたし」を形作っていたのです。

場所が選べないからこそ、その選択肢さえ知らない無知だからこその行動なのかもしれません。

いまは、どうでしょう?

選べます。

どこにいきたいか、どうありたいか。

そして、どう見せたいか。

この点に気づけたことが大人になったなあと思う点でもあります。

いいんです。本音は隠しておいて。

これから何かをする時、わたしは「かっこいいわたし」でいこう。

今は疲れたから、「省エネのわたし」。

食べ過ぎたから、「よく寝るわたし」。

その日々を生き抜く中で無意識に身につけている演技が、人にはあります。

仕事でもそうなのです。

それを無意識にするか、意識して活用するかの違いだと思います。

仕事だから、演じられない「わたし」の側面もあります。いいんです、それで。

完璧よりも、「こうありたかったなあ」という気持ちの方が大切です。

演技だから、失敗もします。

うまくいくと嬉しいです。

そんな気持ちで仕事に臨んで楽しんでいます。

2 家事こそ「かっこいいわたし」の出番

仕事が終わって帰ってくると、賑やかなお子様たちが迎えてくれます。

ここでは保護者の役割を演じることを望まれますが、わたしの場合は、どちらかというと彼らの執事役。せっせとお世話を焼いていきます。

たまに、「無」にならないと、やってられないことが起きます。

そんな時、執事だったらどうするのでしょう?とか、考えて、怒りを分散させます。だって、執事たるもの、ご主人の指示を守れずしてなんとなりますでしょうか。

とか、こんな感じで乗り切ります。

うまくいかないことこそ、当たり前。

人を変えるのではなく、変わるのは「わたし」。

それに気がつけた瞬間から、まだ違う場所に飛んでいけるのではないかと思います。

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