カテゴリー: 生活

  • 諦めない強さを培う

    自分のことは、「自分で!」

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    子どもたちから教わることが多い中、ふと我に帰ると、わたしは何がしたいのかなあと漠然とした不安と困惑が渦巻いています。

    歳を重ねるごとに、想像していた「大人」の姿と現在の自分とのギャップが埋まらない。

    こんな感じでいいのかな?

    ジャッジを誰かに求めている自分がいます。

    結論、「このまま」は嫌だから、

    「自分のなりたい自分になる」なら、なれるよう努力すればいい。

    「このまま」がいいのであれば、

    現状維持に努めればいい。

    どんどん劣化していくのであれば、

    最後まで落ちてみるのもいい。

    選べばいいのです。

    「自分で」。

    責任と自由が表裏一体であるように、

    気持ちの割り切りも良さと悪さを兼ね備えています。

    どちらの面を、重視するか。

    そこに託されている気持ちがします。

    1「自分で」何かやってみよう

    30代半ばも過ぎ、このままでいいのかモヤモヤします。

    だから、いっそのこと、何かをやってみようと思う所存です。

    「やるからにはやる」

    この思い切りの良さを、

    プラスに見ましょう。

    失敗してもいいのです  

    失敗こそ、糧になるものです。

    失敗を考慮に入れて、準備を始めます。

    なんだかドキドキ。

    初めてやることは、怖いけれど楽しさも大きいものです。

    この時に注意しているのは、下調べ。

    いわゆる「準備」を怠らないことです。

    電車の時間から、副業の起業まで、種類は様々に及びます。

    気をつけることは一つだけ。

    「うまく行かなくても大丈夫。」

    「うまく行かないことには理由がある」

    このことに気づけたら、きっと心の余裕が生まれます。

    どうしようもない時もあります。

    そんなときこそ、声にして、

    紙に書いて、心の中身を出していきましょう。

    そうすることでより豊かな人間へのステップを確実に踏んでいくことになるのです。

    2周りよりも「自分の言葉」を大切に

    挑戦することは、怖いです。

    「今更?」と思われるのも釈然としません。

    周りを気にするな、と言いたいけれど、気になりますよね。

    気にしたっていいと思います。

    だって気になるんだもの。

    その時にそっと自分に囁きましょう。

    「今のわたしは傾聴できるわたし」

    人の話を聞くことは、わたし個人、とても苦手です。だからこそ、あっけらかんと物事を捉えてしまいがちです。

    周囲の声を拾える人は、「やること」への昇華も行えます。

    気になったら、やった!

    と思います。

    いまは「聴く」時期なのかな。

    と考えてもいいでしょう。

    一つ、忘れないで欲しいのは、「やりたいこと」に周りの意見を入れ過ぎないこと。

    本質がわからなくなると、悲しくなりますもんね。

    3お守りの「言葉」を

    好きな本の一文でいいと思います。

    困ったり、悲しくなって辞めたくなったりした時、思い出したい「言葉」を一つ、定めておきましょう。

    わたしはもう絶版?になっている作品のある部分が、ある時期になると痛切に心に浮かんできます。

    この言葉さえあれば、なんとかなる。

    自分のお守り刀ならぬ、お守り言葉を推奨します。

    やりたいこと、やってみましょう。

    きっと、楽しいことが起こるはずです。

  • 変わる時は自分で選ぶ

    30代にしておきたいこと

    こんにちは。

    年子と暮らす30代社会人です。

    いつのまにか30も半ばになり、歳月の早さを感じる次第です。

    いまだから、やっておきたいことは何か。

    むしろ、やれることは何か。

    年を経ることで何を得たのか。

    1 「いまだから」言えること

    若いという感覚は、もうないものです。

    しかし、ふと気づくと年をとったなあと思うことが増えたのは否めません。

    どんな時に、こう思うのか。

    肉体面での衰えはさも知らず。

    精神的に、耐えられる幅が広くなったと感じられます。

    先輩たちの仕事を、懸命に追っていた時。

    後輩たちのやり方を見守ることを学んだ時。

    20代であれば「待つ」ことなど、できなかった。そんな思いが心を満たします。

    中間管理職とも言われる年代。

    苦労も多いと思います。

    けれど、逆に、見えてくる視点が変わってくるのもこの時期。

    「責任」という看板を背後に、「やりたかった」ことを責任もってやる。ダメだったらの打開策も講じて、望む。

    挑戦の仕方が、変わったのかもしれません。

    やりたいようにやるのではない。

    みんながやりたいことを少しずつできるような環境を作る。

    それが、やってみたかったこと。

    こんな気持ちが湧き起こるのも30代の特権であるように思います。

    2 過去は誰のもの?

    過去は、振り返らないもの。勝手にそんなふうに思っていました。

    過去は、蓄積。

    言い換えれば、糧。

    悲しみも苦しみも、嬉しさも喜びも、全て今のわたしを形づくるものである。

    なければよかった。

    そんなことは、一つもない。

    そのことに気づくことができる年齢になった。

    そのことを、とても嬉しく思う日々です。

    だからこそ、全力を持ってことにあたる。

    この勢いは負けないように。

    自分のできることを、やれることを、見極めながら、本当に「やりたかった」ことに手を伸ばしてみる。

    そんな年齢になっていると思います。

    3 しっかり生きること

    転職や家庭環境の変化、自らを取り巻くものたちが変容するのも時期的にあります。

    この流れに乗ることで、自分はどうなってしまうのか。

    不安がないとは言えません。

    その反面、その先になるにがあるのか、とても気になることでもあります。

    30代でなにをやるか。

    一つです。

    しっかり、生きること。

    その日その日が、終わりがいつきてもいいように、悲しくも楽しくも、やり切ること。

    命はいつか燃え尽きます。

    その燃え尽きる時まで、精一杯楽しむこと。苦しむことが、わたしのやりたいこと。

    そんなふうに思います。

  • 自分の中の当たり前を考える

    世界の実情と自分の実情

    こんにちは。年子と暮らす30代社会人です。

    昨今グローバル化が進み、各家庭で英才教育に力を入れることが増えてきています。

    我が子たちはなにを学んで欲しいのか。

    今からできることはあるのか。

    それを模索していくと、答えはあるのか。

    子どもの学習家庭環境の変化を平成と比較しながら追っていきます。

    1 塾は当たりまえ?

    平成っ子のわたしは地元が地方であったのもあり、習い事で放課後がなくなるような環境ではありませんでした。

    土日のどちらかにピアノがあって、ほかは部活動くらい。

    遊んで、勉強して、寝る。

    そんな日々でした。

    今思うと幸せだったなあと思います。

    二つ上の兄弟を待ちながら、外でバトミントンをしたり、一輪車をしたり。

    都会の中で、そんなこと、できないよなあと思います。

    誘拐や事件性のある何かに巻き込まれてしまう可能性が高い都会。

    地方も変わりないと思いますが、わたしの暮らしていた地域はとてものほほんとした、良い意味で過疎化が進んでいたように思います。

    高校入試、大学入試がそれぞれありました。

    英語がとてもできなかったなあと思います。

    だから、朝早くから学校に行って、夜も最後まで自習室で勉強しました。

    あのころ、先生たちは何時に来ていたのだろう?

    今思うと、本当に自由に楽しく高校生活を送らせてもらったと思います。

    もちろん、塾に行く子もいました。

    わたしはそこにお金を使うという発想より、本が欲しいと思っていました。

    本があれば勉強できる。

    単純な高校生だったなあと思います。

    人によって習い事はそれぞれ。

    我が子はどうしようと考えるにつけ、ピアノと水泳、毛筆でいいかなと思い始めました。

    本当は英語とかやった方がいいのだと思います。

    けど、そこは本人たちに任せようと思います。

    3歳を過ぎたころから、まずやってみる。

    何事も継続あれ。

    お金はかかるが、きっと楽しいこととそうでないことを学べる場になるはずです。

    令和の当たり前は、うちの当たり前ではない。

    そんな気持ちが大事なのだと思います。

    2 環境は整えるのが当たり前?

    習い事も勉強も、やはり環境がものをいう気がします。

    親として、というより、わたしが親からしてもらったことを子どもたちにも還元したいという気持ちが強いです。

    「当たり前の質」をあげる。

    それには時間もお金もかかります。

    否。

    そこにお金をかけられるよう、働きたいですね。

    親が子どもにできることって、子どもだったわたしを思い出すと、本当に少ない気がします。

    だから、せめて大人のわたしが子どもたちにできる最大を、提供できる器でありたいと思います。

    3 「正しいもの」じゃないとダメなのだろうか。

    習い事も、考え方も通り一遍の「正しさ」を学ぶことだけではいけないと思います。

    言い方を変えれば、習い事から、何を学んでほしいか、そして、子どもたちは実際にどう変化するのか。

    こちらの願望ばかりを押し付けるのは痛いです。

    だから、少しずつの歩み寄りを経て、世界に溢れる「正しさ」という詭弁の正義を、どうにかこうにか乗り越えていきたいと思います。

    上の子は、とても利発です。

    だからこそ、裏をかいてやったことが、跳ね返ってくることもあります。

    いっぱい喧嘩をしよう。

    いっぱい泣こう。

    いっぱい笑おう。

    いつか手を離さなければならないのは、誰でも一緒。だからこそ、今の時間を大切に過ごしたい。

    時代の変化が激しいからこそ、穏やかな心構えが囚われてはいけません。

    そこを忘れなければ、子どもたちと手を繋いで、歩いていける未来が待っている気がします。

  • 毎日は同じではない毎日

    日々が鍛錬の時

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    体力の衰えをさることながら、日々のタスク処理、子どもとの時間、自分のやりたいことに忙殺され、いつのまにか1日が終わっていることが増えていると感じます。

    やりたいことを書き出してみて、「やろう!」となるまでのエンジン温め時間も増えている気配がします。

    これが腰が重くなったということか!

    と少し嬉しく思いますが、果たして。

    フットワークは軽い方が好き。

    体重も軽めで気持ちも軽め。

    そんなノリで仕事や子どもたちとの時間を過ごしたい。

    この希望を実現するために、何をしていくべきなのでしょう?

    1 まずは「体調管理!」

    何はともあれ、体調が思わしくない時はいけません。どんなこともネガティヴであったり、結論がまとまらずイライラの渦に引き込まれたり、ろくなことがありません。

    体調の悪い時は「身体からのSOS」。

    即座に切り替えて、お休みモードになりましょう。

    本当なら、「明日やろうは今日やろう」ですが、体調の悪い時は「明日やる」でいいのです。

    大丈夫、死にはしません。

    明日のやることが少し増えるだけ。

    けれどそれもちょっとだけ。

    いつものわたしだったら余裕でしょ!

    という感覚で、お休みします。

    だってね、体調が悪いということは、

    物事が今は止めどきということを教えてくれているんです。

    病を押してやったとしても、きっとまたやり直し。だから、今は休みましょう。

    こんな心の声をつぶやいて、

    お家に帰って好きなことしましょう。

    これこそ、一番の回復であり、一番の仕事でもあるのです!

    2 頭の中を「整理整頓」

    ふと、不安が襲う時があります。

    「このままでいいのかな」

    この気持ちが芽生えたら、成長の兆し!

    とことん悩みます。

    「悩む」という表現が個人的に好きではないので、「迷う」とします。

    いつかは、ゴールを定めるのです。

    だから、いまは迷って迷ってとことん困ります。

    何を考えていたいのか、

    どんな結論が欲しいのか、

    何のために考えようと思ったのか。

    いろんな方向から考えましょう。

    頭をパンクさせてもいいのです。

    それくらい頭を使えれば上出来。

    あとはやる順番を決めるだけ。

    迷う時は時間を設定してもいいですね。

    保育園のお迎えの時間から逆算して、

    この時間までは余裕があるから、考えよう。

    この既定路線を作りつつ、自分の「迷う時間」をしっかり持って、自信を持って迷いましょう。

    うまくいかない時ほど、心が追いついていない時。こんがらがった糸をほぐすように、頭を休めるのもありです。わたしはどちらかというと極限まで使い切って切り替える方が楽しいですね!

    頭の中の優先順位、しっかり固めて紙に書き出したら試合開始!

    自分のやることに一直線になれる時間が、迷うことの先にスタンバっています。

    おそるることなかれ。

    敵は己の中にあり!です!

    3 毎日のルーティンを作り出す!

    いちいち考えるのも、休むのも面倒。

    この頃のわたしは頓に面倒くさがりに拍車がかかっています。だからこそ、立ち止まる価値があることを見落としがちになります。

    「落ち着け、自分。」

    と魔法の言葉を唱えましょう。

    日々の積み重ねが毎日を彩るように、この積み重ねの濃度によって、充実度も変化します。

    少しずつの変化は加えていきましょう。

    朝の白湯の時間。

    通勤の時間。

    寝る前の時間。

    自由になるのはこのくらいしかありません。

    いいえ、こんなにあります。

    なにをしよう。

    なにがしたい?

    心に問いかけて日々を作りましょう。

    予定があった方が落ち着きますが、無計画もどんとこい!

    まっさらな地図に向かって、鉛筆でびしゃーっと線をひきましょう。

    大丈夫、失敗こそ成功への近道。

    うまく行ったら幸運なのです。

    この気持ちのルーティンを作り上げ、

    日々の「軽め」な心意気を育てていきたいものですね。

  • 兆しを掴むこと

    何かを変えるためには自分が変わること

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    家事をしていても仕事をしていても、何かと「わたし」以外の人がそばにいます。

    人は思い通りにはならないもの。

    当たり前だけれど、腹が立つ時もあります。

    そんな時、心の持ちようはどうあるのが望ましいか。

    仕事と子育て、どちらもしんどさに優劣はつけ難いです。だからこそ、この2つが身に起きていることに絶望せず、クリアできる課題として向き合っていきましょう。

    1仕事では、「こういうわたし」

    わたしが周りと軋轢を生まないよう、気をつけていること。それは、いま、演じているということ。本心なんて、あってないような時があります。

    そう思った最初の記憶は小学生。

    小学生の頃は学校と家とかが、わたしの世界観を形作っていました。ちっぽけな世界でしたが、そこにいるのが「わたし」です。

    「わたし」は親から見ても、先生から見ても、「しっかりしている」子を目指そうとしていました。負けん気が強く、「できる」という気持ちが強かったのですね。

    だから、悔しくても痛くても、合言葉は「絶対大丈夫」でした。

    あの日々を思うと、我ながら頑固な子どもだと呆れてしまいますが、その当時はそれこそが「わたし」を形作っていたのです。

    場所が選べないからこそ、その選択肢さえ知らない無知だからこその行動なのかもしれません。

    いまは、どうでしょう?

    選べます。

    どこにいきたいか、どうありたいか。

    そして、どう見せたいか。

    この点に気づけたことが大人になったなあと思う点でもあります。

    いいんです。本音は隠しておいて。

    これから何かをする時、わたしは「かっこいいわたし」でいこう。

    今は疲れたから、「省エネのわたし」。

    食べ過ぎたから、「よく寝るわたし」。

    その日々を生き抜く中で無意識に身につけている演技が、人にはあります。

    仕事でもそうなのです。

    それを無意識にするか、意識して活用するかの違いだと思います。

    仕事だから、演じられない「わたし」の側面もあります。いいんです、それで。

    完璧よりも、「こうありたかったなあ」という気持ちの方が大切です。

    演技だから、失敗もします。

    うまくいくと嬉しいです。

    そんな気持ちで仕事に臨んで楽しんでいます。

    2 家事こそ「かっこいいわたし」の出番

    仕事が終わって帰ってくると、賑やかなお子様たちが迎えてくれます。

    ここでは保護者の役割を演じることを望まれますが、わたしの場合は、どちらかというと彼らの執事役。せっせとお世話を焼いていきます。

    たまに、「無」にならないと、やってられないことが起きます。

    そんな時、執事だったらどうするのでしょう?とか、考えて、怒りを分散させます。だって、執事たるもの、ご主人の指示を守れずしてなんとなりますでしょうか。

    とか、こんな感じで乗り切ります。

    うまくいかないことこそ、当たり前。

    人を変えるのではなく、変わるのは「わたし」。

    それに気がつけた瞬間から、まだ違う場所に飛んでいけるのではないかと思います。

  • 大切なことを見落とさないこと

    なんでもない日常

    こんにちは。

    年子と一緒に過ごす30代社会人です。

    世の中には、「子ども」の有無によって対応が変化する環境もあります。

    このままでは、子育てできないよ!

    と言うことが言いたいのではなくて、

    ただ、子どもがいるからこそ、思うことを、

    子どもがいないわたしを想定して、

    お話ししてみようと思います。

    1 関わること、関わり合うこと

    最近、通勤電車で小学生の子とまだ0歳くらいの子を抱っこしたお母さんに出会います。

    「これから保育園かな?」

    「小学生なのに電車に乗って偉いなあ」

    こんな感じの気持ちで揺られています。

    通勤電車ですから、とても混んでいます。

    その中で小学生の子は降りる駅になると、

    「降ります!」と大きな声で主張しています。

    0歳くらいの子も、咳をしていたり、周りのものに手を伸ばして遊んでもいます。

    そんな時、周りの空気が、すこし変化します。

    張り詰めるというか、なんと言うか。

    こう、どうにも言い難いですが、端的に言うならば、顔に「うるさい」「迷惑」と書かれている人が多い、と言う感じです。

    これは、心が狭いのか?

    よくSNSでこうした子どものマナーに関する内容を見受けられます。

    論議になったりもしていますが、果たして、これって、結論がいることなのでしょうか?

    わたし個人としては、

    「そうなんだね」くらいです。

    子どもたちも大人たちの反応も、「そうなんだね」という形です。

    なぜか?

    それは、思うことは自由であり、他者が他者の発言や気持ちを左右することは自身の美徳に反するからです。

    子どもたちの様子を微笑ましく思える時もあれば、そんな余裕もない時だってあります。

    そんな時に批判されたり、突かれたりしたら、とても悲しいし腹立たしいと思ってしまいます。

    だから、わたしはわたしに求めることとして、「事実を認識すること」を課しています。

    人間だからこそ、良くも悪くも感情が揺れるのです。

    揺れたとて、それに制御されるわたしは、わたしとしてまだまだ未熟者であるだけなのです。

    他者に何かを求めるほど、わたしはわたしができているとは思えません。

    だからこそ、言えます。

    いいと思うよ、そのままで。

    こうした排他的にも見える考え方、どこかニヒリズムに似ている気がしている今日この頃です。

    2 「こうだったらいいのにな」を探す

    生きている中で、子どもがいない人生もあったろうなと考えます。そしたら、今の「わたし」はわたしではない「べつのわたし」になっているはず。

    それもそれでいいと思います、が、

    それはそれ。

    今は子どもたちが目の前にいるからこそ、「こうありたい」と思う理想が築かれます。

    無い物ねだりは人間の性。

    無いものは作ればいい。

    わたしはわたしの中で、

    「こうしたい」と思うことが増えてきました。

    仕事の多忙さにかこつけてサボっていましたが、もう少し自分の心に耳を傾け、理想の自分を体現するために、動いてみようと思います。

    まずは、体調管理。

    子どもたちが優先、と思いながら、

    自分のことを省みることなく半年が過ぎました。体重然り、風邪ひき頻度の向上然り。

    サボった分のツケはしっかり回ってきます。

    体のメンテナンスはとても大事。

    欲望のままに、ストレス発散とかこつけて食べすぎるわたしは、さようなら。

    わたしはもっとバランスがとれた肉体を目指します。

    そして、お金のこと。

    子どもたちにかけたいお金の貯蓄がどうなっているのか、全体像が霞んでいます。

    彼らが大人になっても、わたしがわたしらしく楽しめるように、お金は大切に管理していか必要があります。

    仕事と育児と、パートナーと。

    1人でやることもあるにはあるけれど、情報共有は大切です。仕事でも育児でも、他者を重んじ、自分の持分以上の何かをできるパワーをためながら、全てのことに臨んでいきたいものですね。

  • 欲しいものは欲しいと言う。

    どんな人になりたいか

    こんにちは。

    年子を育てる30代です。

    理想を描く年でもない。

    と自分に言い訳しながら、しっかり、「こんな人になりたい」と憧れを持ち続けています。

    なぜか?

    現状に満足していないから。

    そのままですね。

    もっと勉強したい。

    もっと本を読みたい。

    もっと痩せたい。

    もっと動き回りたい。

    子育てをしていると、昔の当たり前は通用せず、子どもありきの世界観が構築され、運営されます。もちろん、「それが嫌」というお話ではありません。

    子どもがいることで得るものがたくさんあり、生まれてくれて、本当に良かったと思います。

    だからこそ、子どもを理由に、理想を下げたくない。むしろ、あげたいですね。

    30代も後半に差し掛かってきたこの頃、やるべきことを整理して、わたしが求める「わたし」をいかに演じるべきか、考えに浸っています。

    1 願望は、そのまま。行動してみる。

    時間がないないと騒ぎながら、子育てもよくみると隙間時間ができるようになりました。

    通勤の時間や、子どもたちが寝た後の時間、朝の早い時間…うちの子どもたちは朝が早いので、わたしの朝活は子どもたちとのお散歩です。

    この時間運用もさることながら、果たして、わたしは何がやりたいのか。

    そんな自問自答ができる時間を作ることから、始めています。

    まず、勉強。

    今のままでいい?

    いいえ。もっともっと、世界を知りたい。

    何をする?

    本を読む!SNSで情報を得る。

    どのくらいまで自分を持っていく?

    毎日のルーティンに読書プラスアルファを行いたい!

    こんな形で膝の上で下の子がお昼寝している時、考えを出してまとめます。

    スマートフォンも買い替えなきゃなあといいつつ、できてないことに少し悔しさもあります。

    写真をデータ移行しないとなあと、ふと思い出したりもします。

    やはり、自分に問いかける時間はとても大切。育児と仕事に慣れるまで、忙殺されていた時には気が付かなかったけれど、いまは言える。

    「わたしは、わたしのために生きるのだ!」

    その目標をより高度なものとするために、日々精進しているようなものですね。

    思うことは自由。

    その次は行動!

    行動は、些細なことでいいのです。

    職場の廊下でゴミを見つけたら拾って捨てる。

    これが今のわたしの自由になるための第一歩です。身の回りに目を向けられる自分が好き。

    だから、そのためにまずは小さな行動を起こす。

    これがわたしの今季の目標です。

    2 ネガキャンより、「次はどうする?」

    何かやり始めたり、考え始めると、失敗したらどうしようというリスクマネジメントがぐいぐい出張ってきます。さて、どうしたものか。

    これは、暗示をかけましょう。

    「リスクマネジメントもできる自分、偉い。

    だからきっと大丈夫。」

    経験則に基づく「大丈夫」という言葉は、とても心地よく、力強い言葉となります。

    だからこそ、気をつけて発していかないと、気がつくと負の連鎖の中にいながら笑っている不気味なわたしが出来上がってしまいます。

    「大丈夫」というのは、漢文の世界では「偉丈夫」つまり、成人した男性であります。

    男尊女卑の思考をここでしたいわけではないので、ここでは、成長過程にある少し大人になりつつある自分。という意味合いでとっています。

    「大丈夫」と思えるために、そのためにできることは全て手を打ちましょう。手を尽くしてやったことで失敗があっても、あの時の自分の精一杯を込めて動けていたのならば、きっと後悔はしても、前に進む力も得られます。

    何事にも全力で。

    暑苦しい考えですが、そうあれる自分を誇っていいのではないかと思っています。

    欲を言うならば、失敗があった時を想定して動けている自分も好きです。

    だめだったりしたら、こうしよう。

    この思考をぜひお勧めします。

  • 変化を望む自分になる。

    自分のリセットを

    こんにちは。

    年子を育てる30代です。

    日々の生活の中で、自分のやり方が定着していることほど、変化への抵抗があります。

    人間、誰しもそのまま揺蕩っていたいと思いがちです。

    しかし、そのままでは何も変わらず、良いものも悪いものも滞っていきます。

    変化こそ、宝。

    そう思えることこそが第1歩。

    そのコツを掴みましょう。

    1 「流れを作る自分をイメージ」

    まずは、日常的な変化の流れを意識しましょう。

    起きてから寝るまで、自分という個体は制御下に置かれていますか?

    まずは明日の行動を、寝る前に思い描きましょう。

    これがやりたい、あれがやりたい。

    ほんとうは紙に書くのがおすすめですが、そんな余裕もない人が多いはず。

    やりたいことを順番に並べてみて、これだけはやりたい!と言う1番を決めます。

    それは絶対外さない。

    ほかはできたらいいな、くらいにいましょう。

    計画が見えたら、時間の意識。

    どこに組み込むことが有意義か。

    不安だったら他の人にも助言をもらいましょう。

    これはより客観的に。

    自分の仕事量を見越して、少しタイトに作りましょう。

    「やりたい」がない時は、

    1 本を読む

    2 散歩する

    3 新聞を見る

    この辺をやってみてください。

    やることが決まったら、あとは寝る。

    寝る前に明日をイメージしておくと、目覚めの良い朝になってきます。

    次の日、計画通りに進んだら儲け物。

    進まなかったら、どのように自分が対応するか、挑戦の時。

    ここで変化が生まれます。

    いつもと違う、予定と違う。

    そんな変化を、どのように乗り越えるか。

    そこに面白さが詰まっています。

    言い換えるならば、

    対応できる力が身についているかの試験となり、未開の自分との邂逅でもあります。

    乗りこなそう、ではなくて、やってみよー

    くらいの意気込みでいきましょう。

    失敗しても、大丈夫。

    人は失敗から、どんどん強くなるものです。

    とはいえ、失敗は悲しいので

    そんな時はお菓子を食べたり温かいものを身体に与えてくださいね。

    2 仕事仲間との変化。

    人と関わる仕事をしていると、ふと気になることがあります。

    「前まではこの人にこんな印象無かったのに、なんか変わった気がする」

    良くも悪くも、外側や遠くから人を見ている時は、本当に外面しか見えていないことが多いです。

    仕事を通して関わるからこそ、その人の人となりがわかり、関わり方も変化します。

    わたしのひとりよがりの例をあげましょう。

    とても良い人だなと思う方がいました。

    仮にAさんとします。

    誰にでも明るく、前向きに声がけをしているコミュニケーション能力の高い方だと思っていました。

    そんな方と最近、同じ仕事をする機会がありました。わたしが一方的に信頼していたのもあり、いろいろ聞いて仕事を進めていました。

    仕事の形が見えた時、Aさんが上司に言っておくので、わたしからの報告はいらない。

    そんなふうな会話がなされました。

    お願いします、とわたしは答えた気がします。

    これが、よく無かった。

    後日、仕事のことで上司の了解が必要となり、上司へと話を持っていくと、

    「聞いてない」とのこと。

    …あれ?

    と思いながら、謝罪して仕事の内容確認をし、少し叱責を受けながら、ことが収まりました。

    …その後、Aさんとお話をする機会が多々ありました。が、仕事の話には触れません。わたしから、こういうことでした。と報告しても、「はーい」という、フットワークの軽い言葉が帰ってくるのみ。

    わたしの学んだこと。

    人を勝手に信じすぎてはいけない。

    わたしのやることは、最低限複数の目で確認することが必要だと心に刻まれた出来事でした。

    他人に期待をしてはいけないわけではありません。

    仕事をする上で、わたしの役割を見失ってはいけない、ということです。

    様々な変化が、わたし達の周りには息づいています。

    良くも悪くも、その流れの中で自分をどう生かすか。

    人との関わりの中でどのように自分を適応させていくか。

    これらが今後の課題となるようにも思われます。

  • 関係性を作り上げる

    人と関わること

    こんにちは。

    年子を育てる30代です。

    人と関わる仕事をしています。

    けど、人と関わることは極力避けていたい。

    いつもそんな気持ちが心の片隅に腰掛けています。

    うまくいかない日だってある。

    落ち込む時だってある。

    その逆だってある。

    人と関わることで、プラスもマイナスもさまざまな感情の波に揉まれて、今の自分が作られている。

    分かってはいることだけれど、他人とうまく関係を築けない時の対処法、考えてみます。

    ケース1 同じ仕事をする時の関係

    仕事仲間=友達、にならない!

    一緒に同じ仕事を作り上げるチームメイトと、うまく関係が作れてない…情報共有が雑だったり、変に気を遣って仕事を分け合えなかったり…

    なんとなく、やりにくい。

    きっと相手もそう思ってる。

    この悪循環が起きることが多々あります。

    はじめはよかったのに、徐々にそんな雰囲気に。

    けれど、これって、当たり前なのです。

    だって、初めはお互いにお互いの仕事のようすを知らないから、探り探りやる。

    側から見れば、「丁寧」かもしれません。

    徐々に慣れてきて、相手の出方がわかるから、緩急が見知らぬうちについてしまう。

    人間の性かもしれません。

    そして、お互い、良くも悪くも、

    あまり気を使わなくなって、ふとしたことで衝突したり、些細なミスが積もり積もって爆発する。

    それは相手の埒外であることもあるし、自分の中だけで起きたり、周囲を巻き込んだりもします。

    これって、なんで?

    と思います。

    解決策、というより、わたしが心に念じていること。

    仕事仲間はチームだけど、友達ではない。

    この場限りの、関係。

    だから、もう、割り切る。

    この切り替えができる人ほど、仕事が早くて丁寧です。

    個人的には、誰にでも丁寧に、しっかりした対応をしていきたいため、まずは己の鍛錬から始める所存です。

    ケース2 同じ職場環境に身を置く関係

    職場環境は自分で作る(無理しない)

    職場の環境、例えば上司のその日の気分によって、雰囲気が変わることがあったりします。本人に悪気はなくとも、大罪だと思います。悪気がないからこそ、悪質です。

    また、自分の周囲を取り巻く環境がマイナスになっていることに気づかず、いつのまにか負のループに陥っていることもしばしば。

    職場環境の改善を、と叫ばれて長い年月が経ちますが、変化があるのかないのかはっきりわかりません。

    一つ、10年以上同じ職業で働いている身として、分かったこと。

    自分の環境は自分で作ること。

    言い換えるならば、自分の機嫌は気分で取ること。

    それが、1番環境整備として有効だと思います。

    環境が悪いことを他者のせいにできる人は、その人の正義があります。それで良いと思います。

    わたしは、逆です。

    環境が悪いからこそ、いかに自分を適応させることができるのか、試験ができる。

    良い機会が巡ってきたと思うことにしています。

    他人の機嫌が悪いときは、離れます。

    こんな子どもと一緒にはいられない。

    そんな気持ちになります。

    わたしはかっこいい大人になるため、自分の機嫌は自分で取ります。

    そして、この姿を後輩になった時のわたしがみても恥ずかしくならないように、前進あるのみ。と心に刻んでいます。

    ケース3 番外編

    わたしも他人かもしれない。

    疑うことと信じることのバランスを取る。

    わたしの癖で、職場の中で「この人のようになりたいなあ」「この人すきだなあ」と思ってしまうと、その人を真似てしまったり、聞き耳を立ててしまうことがあります。

    そんな人が、わたしの期待を打ち破る行動をすることは、可能性としてあります。いわゆる、他者に理想像を重ねているだけで、勝手に幻滅しているだけに過ぎません。

    こういった経験を、わたしはわたし自身の合わせ鏡として意識しています。

    好ましいと思う人のようでありたい。

    「わたし」というものに、一貫性を持ちたい。

    この気持ちが高まるほどに、裏切られた!と思うと憎しみが湧きます。

    …なんと、わがままであることか。

    しかし、これがわたしです。

    こういった、わたし自身の負の側面の手綱をしっかりと取りつつ、人と関わるときには最大限の危機感を持って臨むように調整中であります。

  • 本のすすめ

    読書から世界を知る

    こんにちは。

    年子を育てる30代です。

    家が狭いので、以前のように新刊をすぐに購入することが稀になったこの頃。

    読書から足が遠のいたと思いきや、地域の図書館の予約システムをフル活用して、予約本を楽しみに待つ日々。

    10代のころは発売日までが本当に待ち遠しくて、学校が終わったら飛んで帰って、父と本屋に行くのを待っていました。

    都会とは言えない地元なので、発売日前には絶対搬入されず、発売日が過ぎてもないこともしばしば。

    ネットが普及し、通販や電子書籍が市場に出回っている現代を、あの頃のわたしに伝えてあげたいです。

    仕事と育児の隙間をぬって、ぬくぬく読む本は、本当に心を穏やかにしてくれます。

    こんな読書、いかがですか?

    1 本は、言葉なり。

    本を読む、と言えど、どんな本を読むか、その人の趣味嗜好があらわれ出るものであり、すぐにお披露目するには、まだまだわたしには修行が必要です。

    なので、わたしがルーティンにしている読書週間をお見せします!

    まずは、1日一回は活字に触れる!

    これがないと、やってられません!

    新刊?積読?

    そんな言葉はいりません。

    読みたい本は、いつもどこかにあります。

    それが新刊であったり、既刊であったりするだけです。

    30年以上生きてきて、同じ本を何回も読むことが多いわたし。

    その心は。

    一重に、本の中の、あの言葉たちに、会いたいから。

    もう、ラブコールです。

    すきとかではなくて、目に触れたいと思うのです。

    それによって、変わっていない何かを、無意識に確認し、咀嚼し、安堵しているのです。

    新刊という定義は、ほんと、そのままな場合が多いです。しかし、わたしの中では全ての本が新刊です。

    同じ時、同じ場所、同じ気持ち。

    そんなことはこの人生の中で数えるほどしかありません。

    既刊こそ、新刊たる貫禄を持ち合わせているのです。

    2 何はともあれ、どくしょ。

    本を読む時間があったら、寝たい。

    育児に慣れなかった時は常々そう考えていました。しかし、気付きました。

    わたしには、活字が必要。

    活字こそ、思考の原動力となり、わたしを強く律していく。

    この気持ちが強く強く、わたしの心を揺さぶります。

    仕事復帰を見越し、読書も再開され、心の余裕が生まれ、仕事復帰がうまく行ったように思います。

    人にはそれぞれの特性があり、それぞれの役割があるといいます。

    わたしの場合、本を読むことで、全てをクリアにできる思考を手に入れている気持ちがあります。

    読むことこそ、己と対話すること。

    自分のことがわからなくなった時、わかりたいと思う時、逆に離れたいと思ったときこそ、読書を勧めます。

    簡単です。

    言葉はわたしに寄り添い、叱咤し、激励します。孤独とも取れるかもしれません。

    しかし心地よいのです。

    この気持ちが良い形で自分に作用していると気づけること。

    それが自己理解の第一歩であり、読者の持つ力であると確信しています。