なんでもない日常
こんにちは。
年子と一緒に過ごす30代社会人です。
世の中には、「子ども」の有無によって対応が変化する環境もあります。
このままでは、子育てできないよ!
と言うことが言いたいのではなくて、
ただ、子どもがいるからこそ、思うことを、
子どもがいないわたしを想定して、
お話ししてみようと思います。
1 関わること、関わり合うこと
最近、通勤電車で小学生の子とまだ0歳くらいの子を抱っこしたお母さんに出会います。
「これから保育園かな?」
「小学生なのに電車に乗って偉いなあ」
こんな感じの気持ちで揺られています。
通勤電車ですから、とても混んでいます。
その中で小学生の子は降りる駅になると、
「降ります!」と大きな声で主張しています。
0歳くらいの子も、咳をしていたり、周りのものに手を伸ばして遊んでもいます。
そんな時、周りの空気が、すこし変化します。
張り詰めるというか、なんと言うか。
こう、どうにも言い難いですが、端的に言うならば、顔に「うるさい」「迷惑」と書かれている人が多い、と言う感じです。
これは、心が狭いのか?
よくSNSでこうした子どものマナーに関する内容を見受けられます。
論議になったりもしていますが、果たして、これって、結論がいることなのでしょうか?
わたし個人としては、
「そうなんだね」くらいです。
子どもたちも大人たちの反応も、「そうなんだね」という形です。
なぜか?
それは、思うことは自由であり、他者が他者の発言や気持ちを左右することは自身の美徳に反するからです。
子どもたちの様子を微笑ましく思える時もあれば、そんな余裕もない時だってあります。
そんな時に批判されたり、突かれたりしたら、とても悲しいし腹立たしいと思ってしまいます。
だから、わたしはわたしに求めることとして、「事実を認識すること」を課しています。
人間だからこそ、良くも悪くも感情が揺れるのです。
揺れたとて、それに制御されるわたしは、わたしとしてまだまだ未熟者であるだけなのです。
他者に何かを求めるほど、わたしはわたしができているとは思えません。
だからこそ、言えます。
いいと思うよ、そのままで。
こうした排他的にも見える考え方、どこかニヒリズムに似ている気がしている今日この頃です。
2 「こうだったらいいのにな」を探す
生きている中で、子どもがいない人生もあったろうなと考えます。そしたら、今の「わたし」はわたしではない「べつのわたし」になっているはず。
それもそれでいいと思います、が、
それはそれ。
今は子どもたちが目の前にいるからこそ、「こうありたい」と思う理想が築かれます。
無い物ねだりは人間の性。
無いものは作ればいい。
わたしはわたしの中で、
「こうしたい」と思うことが増えてきました。
仕事の多忙さにかこつけてサボっていましたが、もう少し自分の心に耳を傾け、理想の自分を体現するために、動いてみようと思います。
まずは、体調管理。
子どもたちが優先、と思いながら、
自分のことを省みることなく半年が過ぎました。体重然り、風邪ひき頻度の向上然り。
サボった分のツケはしっかり回ってきます。
体のメンテナンスはとても大事。
欲望のままに、ストレス発散とかこつけて食べすぎるわたしは、さようなら。
わたしはもっとバランスがとれた肉体を目指します。
そして、お金のこと。
子どもたちにかけたいお金の貯蓄がどうなっているのか、全体像が霞んでいます。
彼らが大人になっても、わたしがわたしらしく楽しめるように、お金は大切に管理していか必要があります。
仕事と育児と、パートナーと。
1人でやることもあるにはあるけれど、情報共有は大切です。仕事でも育児でも、他者を重んじ、自分の持分以上の何かをできるパワーをためながら、全てのことに臨んでいきたいものですね。
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