自分を見つめる

言葉に踊らされない

こんにちは。

年子と暮らす30代です。

こうありたい自分、ありますか?

20代の頃は、「30代」って、すごく大人だと思っていました。

そんな自分がひとたび、30代になってみると、中身は20代と大差ありません。

人は、いつ変わるのでしょう?

安定した姿はいつ、確立されるのでしょうか。

1理想を追うことの楽しさ

気持ちの面で、さまざまなメンタルヘルスの本を読んだことがあります。

先輩のようになりたくて、大人っぽくなりたくて。理由はその時その時で違いましたが、追い求める自分と現実との乖離が、寂しくも楽しい時期でした。

「こうありたい」と望む意志の強さ。

この強さを、30代になった今、どこかにおき忘れてしまった気持ちをふと感じます。

「しょうがないよね」

という言葉に、頷く自分がいることで安心してしまう時もあります。

「これって普通なのかな」と不安になり、他者と比較して心細くなる自分もいます。

「落ち着きのある人間になりたい」

そんな気持ちも裏腹に、そんなこと言ってていいのか不安になる。

これって誰でも起きることなのか。

自問自答をしてみたりします。

答えは、出ません。

答えが欲しいのではないからです。

理想を見つめる自分を、見つめることから目を背けて、誰かに語ることを恥ずかしがっているからです。

「恥ずかしいよね、この年齢で」

この言葉、とても強い。

だからこそ、言います。

「恥ずかしいよね、だからね、

もう恥ずかしいからそれ以上はないよ」

「だから、やろうか」

この気持ちをブレずに支柱としていきましょう。

2現実を見る強さ

自分を知ることは、言葉を知ることでどんどん深まります。曖昧だった気持ちが、ピタッとはまる言葉に出逢うと、その形が鮮明に浮かんでくるように。

知ることは領ること。

自分を治めるには、まず知る。

言葉を知る。

そして、今を見る。

「現実はしんどい」とよく言いますが、捉え方の問題にも思います。

しんどいからこそ、攻略のしがいがあるものです。

現実を見る強さこそ、知る強さに直結しているものですね。

3「全て理解する」のではなく「受け入れる」優しさ

「こうありたい」と望む自分は、完璧なのか。

答えば自ずと出てきます。

完璧の程度は人それぞれ。

本人の中で、「やったね!」と思えたら、それが1番です。

これは、全てを理解するより、どちらかというと、受け入れることに通じています。

「自分」という器を、どのように彩るのか。

何を載せるのか。

何を選ばないのか。

選択は未知数です。

いつか、選びます。

選び取った何かを、受け入れられるよう、心を強く鍛えていきたいですね。

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