時間に追われない「わたし」をつくる

時間を有効に使うには

こんにちは。

年子を育てる30代、日々定時に帰る社会人です。

保育園に送って行って、職場へ。

揺れる電車の中で、「さて今日は何をやるべきか」と、1日の業務の選定が始まる。

子どもが産まれるまでは、朝早く行って、夜ゆったり好きな時間まで、業務をやり込むことができました。終わらないことを延々とやり直して、自分の満足のいくまでやり込む。

そんな時代が懐かしく思うほど、いまは限られた時間の中でいかに終わりにしていくか、早く帰るにはどうすればいいか。

そのことに注視している自分がいる。

家に帰れば子どもが待っている。

休む時間さえ、惜しい。

そんな心の働きをみて、このままでいいのか、少し不安がよぎります。

育児と仕事、両立できているのか。

不安を分析し、心の切り替えのヒントを探してみます。

1 変化しているのは、なにか?

仕事は好きです。

時間が許すなら、ひたすらに職場にいて、満足のいくまでやりこみたいです。

しかし、それは環境の変わったわたしには、過ぎたること。だとしたら、なにを「我慢」しなくちゃいけないのか…?

など悶々としています。

子どもがいること。

これは大きな変化でした。

良くも悪くも、価値観を変えざるを得ない状況は、わたしを一回り以上成長させたと思います。

一つ、時間の中で仕事と向きあい、限られた範囲の中でのコストパフォーマンスができるようになった。

一つ、うまくいかなかったとき、「無駄だった」とマイナスな落ち込みではなく、「次はどうするか」の思考チェンジが素早くなった。

一つ、帰る時間を意識することで、周りの人にどれだけ助けられているか、より見えるようになった。

思いつくものをつらつらと上げていくと、さらにプラスの面は増えていきます。

では、失ったと思ってしまうことはなにか。

一つ、ゆっくり自分のペースを維持していくこと。

一つ、周囲とのコミュニケーションの時間。

一重に、「自分が中心となっている考え方」だと分析できます。前で来ていたことができなくなって、寂しくなってきている。

そんな、ふわっとしていて、どこか頼りない考え方が見えてきます。

わたしが弱いから、こう考えるのでしょうか?

子育てしてるのだから、「我慢」は当然なことなのでしょうか?

うーん、

わたしはきっと、「我慢すべき」とか、自己犠牲とかにかぶれている気がします。

いいんです、我慢しなくて。

やりたいことを、やっていいと思います。

限られた時間でこなすこと。

いいじゃないですか。

ゲームみたいで面白い。

自分が適応できるかどうか、試せるチャンスです。

「我慢」ではなく、「適応」です。

悲観することも大事です。

悲観した時こそ、浮上する力が湧き上がります。

「適応」する自分を、イメージしていきましょう。

2 「悩む」ことは「成長」への足踏み。

「なんでこんなことで悩むんだろう」とか、「今こんなことで止まっている暇ないのに」とか、考えて、落ち込んでしまうことがあります。

そんな時こそ、立ち止まる価値があります。

なぜなら、立ち止まることで、一度自分を白紙に戻し、再構築する機会が生まれることにつながるからです。

わたしは「悩む」ことがいやです。

とても自分が幼くなったような感覚に陥ります。だから、「悩む」ではなく、「迷う」を使います。少し気持ちが定まるような感覚になれる気がします。

言葉にとらわれず、自身の心の向くままの言葉を探すのもありかと思います。

自分に思考の矢印が向いたら、しっかり考えること。そして、何も考えない時間を作る。

この2つをこなしていくことで、思考が積み重なって、自分の中にすとん、と落ちる何かが生まれます。

そこまで到達できなくとも、「考えたわたし、偉い!」と思って、いいと思います。

考えた分だけ、ステップは刻まれます。

階段を駆け上がるか、ゆっくり登るか、立ち止まるか。それは無意識の「わたし」が教えてくれます。

強がらず、ゆったり構える。

それが30代になったわたしの課題なのです。

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