迷いこそ成長

心細さを変化させる力

こんにちは。

年子と暮らす、30代社会人です。

休みの日をドタバタと迎え、いつの間にか夜になって、ふと寂しくなる。人肌恋しいというのではなくて、心の不安定さが招く「ふわふわ」。

この気持ち、どのように向き合うのが正解なのか。もやもやでもなく、なんとも言い難い「ふわふわ」。もしかしたら、誰しもが抱えている感情なのかもしれません。

1 「ふわふわ」のやってくるとき

多忙な毎日の中で、「ふわふわ」はやってきません。むしろ、休日の、子供がお昼寝をしている、そんなときにふと舞い込んできます。

この感情の処理が難しいので、以前のわたしは予定をガンガンに入れていました。

休みの日が少し怖かった。

だってなんとなく、落ち着かない。

それが「地に足がついていない」状況だからなのか、「余裕がある」からこその産物なのか、判明していません。

ひとつ、わかるのは

「ふわふわ」している時は何かを我慢している時。もしくは、何かをやりたいのに、やれなくてうまく時間が作り出せない時。

自分で言うのもなんですが、正体不明のこの感情、意外とわかりやすくできている気がします。

原因は、きっとないんです。

「こう、あれたらいいな」がすこしずつ前に出ているだけなのかもしれません。

そんなとき、無視しないで、ひたすら考えます。

そして、寝ます。

たまに寝られなくなる時もあります。

歳かなあって少し悲しくなります。

疲れているはずなのに、布団に入って目を閉じると、何をしようかなあって考えている自分がいます。

理想って、やっぱり理想なんです。

だから、手を伸ばしたくなるし、少しでも近づきたいと思います。

現実、そんな余裕も時間もないのだけど、考えるくらい、いいかなって思います。

いつか、具体的にやりたいことが見えた時、がっつり取り組めるよう、そのための準備期間なのかもしれません。

2 「ふわふわ」してるの、おかしい?

人を観察することは好きですが、自分の感情を表現したり、的確に場に合わせたりすることが苦手です。

あってるか、自信のないことはしたくない。そんなループに陥り、すぐに浮上できません。

そんな時、方向転換をします。

おかしいと思う自分こそ、わたしのすきなわたしである。だから、いいんだ。

いわゆる自己肯定に近いですが、そんな大層なものでなくていいのです。

要は、自分が自分を受け入れられるかどうか。

そこにかかっている気がします。

感情を当てこむのが苦手だから、よく小説を読みますし、漫画も読みます。古典も好きです。

幼い頃から、人の気持ちに対しての鈍さと共存しているわたしは、少しづつ活字のおかげで人に近づいているように思います。

苦手なことを苦手と思える力も文学からお借りしています。

「ふわふわ」論に戻ります。

いいじゃないか、ふわふわ。

それでも、生きるしかないのだから。

先人たちの言葉を支えに、令和の情報社会を生き抜く力を、醸成していきたいものです。

3 「ふわふわ」を味方にする。

どんなことも、正体がわからない時は不安が大きるなるものです。「ふわふわ」はとても抽象的で、けれどもそばにふと気づくとある。そんな存在です。

見極めなければならない、ことはありません。

自分に何かを課す必要はないと思います。

あるとしたら、「今は休もう」と言う気持ちがいいのかもしれません。

常に脳はフル回転で回っていて、朝起きて、いつの間にか寝る時間。

そんな日々を過ごしている時、無意識に休息を必要としている時もあります。

自分の中の感情「ふわふわ」は敵ではありません。外の世界に憧れる、断片的なわたしです。

受け止め方を、転換していくきっかけを与えてくれるかもしれません。

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