「当たり前」≠常識
ジェンダーフリーや、
グローバル化と唱えられ、
「当たり前」がどんどん刷新されている。
30代ともなれば
責任ある役柄を任されたり
後進の指導にあたったりすることも
多々起こる。
その中でいま、
世代格差がうまれ、
ハラスメント問題が
どんどん表面化し、
変化の時がやってきている。
30代のわたしの「当たり前」は
後輩たちの「当たり前」ではなく、
世界の「常識」でもない。
わかりきっていることだ。
この状況をいかに乗り越えていくか、
もしくは乗りこなしていくか。
それがわたしたちの課題となる。
今回は後輩への向き合い方を重点に考えてみる。
1わたしという個人を再発見
平成生まれのわたしは、
学生の時、スマートフォンはなかった。
だからこそ、
交換日記があったり、
部活動日誌があったり、
手紙があった。
今でも手元に残る手紙や、
部活動の手書きのメモは、
貴重な思い出のかけらである。
いま、
それはデジタルに置き換えられている。
言葉を自分の頭から捻り出し、
自分の手で書き出した言葉ではなく、
画面上の言葉と共に、
生きている世代だ。
情報が生命線、と言われる時代。
だからこそ、
上の世代であるからこそ、
できる配慮、
思考がある。
2私たちの武器は何?
私たちの世代の最大の武器は、
言葉を大切にする時間が
多かったことである。
この利点は、
自己内省の深さにつながり、
他者理解の端がかりにもなる。
わからないことを、
自分で、
わかるまで調べる。
そんな力が、
言葉を紙に書いて、
向き合ってきた世代だからこそ、
備わっている。
欠点もある。
言葉を選びすぎてしまい、
何が言いたいわからなくなる。
本当のあっているか、
自信がなくなり、
結局は何もいえずに終わる。
こうした失敗は、
次につながる。
むしろ失敗した方がいい。
自分の言葉の選択の仕方の癖、
自己や他者への関わり方の癖が、
自然と浮かび上がってくる。
3上手くいくことは稀。そんな気持ちで臨もう。
わたしの失敗談をあげよう。
社会人8年目、
幾度となく後輩ができ、
その度に向き合い方がうまくいかなかった。
後輩の姿を見ると、
気にしてあげないと、
と意識してしまう。
その結果、鬱傾向になったり、
震えが止まらなかったり、
不眠になったり、…
自分が壊れてしまうのでは、
と怖くなった。
誰も悪くない。
上手くいえない自分が悪い。
上手く指導できない自分の、
要領の悪さが問題である。
そんな悪循環の中にあった。
そこから抜け出せたのは、
物理的対策だった。
- 後輩と距離を置く。
- 自分を可視化できるようにする体制を作る。
この悪循環は、
私の余裕のなさからの産物である。
無視してはいけない。
今が踏ん張り時だ。
と、当時の自分を鼓舞したい。
この後、
後輩との関わり方が少しずつ柔らかくなり
自分の中で納得のいくものと変わった。
結果論として、
他者を変えようとしてはいけない。
自分自身が適応するのである。
価値観の違う生き物だと思い、
当たり前を捨てて、向き合う。
わたしが、も大事だ。
あなたは、も大事だ。
4頑張ろうとしているあなたへ
後輩との距離感は難しい問題である。
しかし、こうした事例を
何度か繰り返すうち
少しずつわたしの中の変化に、
自分で気づけるようになった。
合言葉は、「ま、いっか」
あなたは間違ってない。
後輩も間違ってない。
気にするとしたら、
自分に余裕があるかどうか。
当たり前なんかない。
常識も常に移ろっていく。
まずは、深呼吸。
自分がまずいな、と気づいただけで、
もうスタートは切れている。
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