子どもが2人いる。
まだ小さく、とても脆い存在であり、
またとても大きな力で持って、
わたしを成長させてくれる存在である。
この2人のうち、
下の子が生まれてから
3回、入院している。
その都度、わたしは付き添い入院をし、
上の子はパートナーとともに、
2人で急場を乗り切ってきた。
付き添い入院から得たもの
- 我が子の大切さ
- 健康の素晴らしさ
- 家族という関係の強さ
「我が子」という存在の希少性
コロナ禍では付き添い入院ができず、
ほぼ管理入院であったという。
1回目の緊急入院は心が追いつかず
いつのまにか時間が過ぎ、
経過観察のための退院となった。
2度目の検査入院は1週間という
終わりの見える入院だった。
上の子とパートナーと、
退院する日を指折り数えていた。
3度目の検査入院では
医師からはまだ子どもが小さく、
記憶にも残らないため、
親の負担軽減のための管理入院を勧められた。
期間も約1ヶ月、
まずは付き添い入院後に
管理入院に切り替える形を取ろうと
医師と計画していた。
管理入院は、つらかった。
子どもはもちろん、
親であるわたしが、耐えられなかった。
管理入院は面会が可能で、昼間~夜まで、
下の子と一緒に過ごし、
時間になると家に帰って上の子と過ごす。
言葉にしてみると
そこまで無理のないように見える。
だが、わたしの場合、
そこが落とし穴だった。
理論上、下の子の面談にも行ける、
上の子と一緒にいられる時間もできる。
しかし、
夜の病院の知らない場所で
周りの患者さんたちの泣く様子、
機械の音、
どれもこれも、
下の子1人で耐え切ってほしいとは
思えなかった。
パートナーと相談し、
また付き添い入院に戻してもらった。
ほっとしたのと同時に、
まずはわたしのやれることを、
と気合が入った。
下の子の入院していた病棟には
様々な状況下の子どもたちがおり、
それぞれが一生懸命に生きていた。
もし、わたしが下の子と
ずっと付き添い入院で過ごしていたら、
聞けなかったであろう「声」も、
多くあった。
いま、この腕の中にある、
小さな命たちとともに、
懸命に生きたいと
強く実感させられた。
健康であること
上の子は風邪こそ引くが、
入院という規模の病には幸運にも罹らず、
元気に過ごすことができている。
これが、幸運である、
ということに、下の子のおかげで
気づくことができている。
生きてここにあること、
その重要性を、
病棟で過ごした日々から
切に感じる。
奇跡の積み重ねの中に、
わたしはこどもたちとともに、いる。
「家族」のあり方
入院に向けて、
パートナーとは多くの話をした。
上の子をいつもより
多く抱きしめるようになった。
下の子の呼吸音に、
安堵する時間が増えた。
様々な家族がある中で、
この中にいられてよかった、
と心から思う。
これから、付き添い入院をするあなたへ。
子どものことが心配なのはもちろんだ。
けれど、まずは自分の体調状態を
整えて臨むことが重要である。
付き添いは、過酷である。
簡易ベットがあったとしても、
やはり満足な休息は得られない。
わたしは自分の中でのルーティンを決め、
それを達成できたかどうか、
日記にして、
子どもと話して確かめ合って、
自分を鼓舞していた。
子どもは、大人を見ている。
大人が元気にしっかりとみつめれば、
子どもも環境が変わっても、
適応しようと努力してくれる。
大丈夫、いつか終わりはやってくる。
それまでの嵐をどう乗りこなすか、
楽しめるよう、準備をしていこう。
コメントを残す