自分の中の当たり前を考える

世界の実情と自分の実情

こんにちは。年子と暮らす30代社会人です。

昨今グローバル化が進み、各家庭で英才教育に力を入れることが増えてきています。

我が子たちはなにを学んで欲しいのか。

今からできることはあるのか。

それを模索していくと、答えはあるのか。

子どもの学習家庭環境の変化を平成と比較しながら追っていきます。

1 塾は当たりまえ?

平成っ子のわたしは地元が地方であったのもあり、習い事で放課後がなくなるような環境ではありませんでした。

土日のどちらかにピアノがあって、ほかは部活動くらい。

遊んで、勉強して、寝る。

そんな日々でした。

今思うと幸せだったなあと思います。

二つ上の兄弟を待ちながら、外でバトミントンをしたり、一輪車をしたり。

都会の中で、そんなこと、できないよなあと思います。

誘拐や事件性のある何かに巻き込まれてしまう可能性が高い都会。

地方も変わりないと思いますが、わたしの暮らしていた地域はとてものほほんとした、良い意味で過疎化が進んでいたように思います。

高校入試、大学入試がそれぞれありました。

英語がとてもできなかったなあと思います。

だから、朝早くから学校に行って、夜も最後まで自習室で勉強しました。

あのころ、先生たちは何時に来ていたのだろう?

今思うと、本当に自由に楽しく高校生活を送らせてもらったと思います。

もちろん、塾に行く子もいました。

わたしはそこにお金を使うという発想より、本が欲しいと思っていました。

本があれば勉強できる。

単純な高校生だったなあと思います。

人によって習い事はそれぞれ。

我が子はどうしようと考えるにつけ、ピアノと水泳、毛筆でいいかなと思い始めました。

本当は英語とかやった方がいいのだと思います。

けど、そこは本人たちに任せようと思います。

3歳を過ぎたころから、まずやってみる。

何事も継続あれ。

お金はかかるが、きっと楽しいこととそうでないことを学べる場になるはずです。

令和の当たり前は、うちの当たり前ではない。

そんな気持ちが大事なのだと思います。

2 環境は整えるのが当たり前?

習い事も勉強も、やはり環境がものをいう気がします。

親として、というより、わたしが親からしてもらったことを子どもたちにも還元したいという気持ちが強いです。

「当たり前の質」をあげる。

それには時間もお金もかかります。

否。

そこにお金をかけられるよう、働きたいですね。

親が子どもにできることって、子どもだったわたしを思い出すと、本当に少ない気がします。

だから、せめて大人のわたしが子どもたちにできる最大を、提供できる器でありたいと思います。

3 「正しいもの」じゃないとダメなのだろうか。

習い事も、考え方も通り一遍の「正しさ」を学ぶことだけではいけないと思います。

言い方を変えれば、習い事から、何を学んでほしいか、そして、子どもたちは実際にどう変化するのか。

こちらの願望ばかりを押し付けるのは痛いです。

だから、少しずつの歩み寄りを経て、世界に溢れる「正しさ」という詭弁の正義を、どうにかこうにか乗り越えていきたいと思います。

上の子は、とても利発です。

だからこそ、裏をかいてやったことが、跳ね返ってくることもあります。

いっぱい喧嘩をしよう。

いっぱい泣こう。

いっぱい笑おう。

いつか手を離さなければならないのは、誰でも一緒。だからこそ、今の時間を大切に過ごしたい。

時代の変化が激しいからこそ、穏やかな心構えが囚われてはいけません。

そこを忘れなければ、子どもたちと手を繋いで、歩いていける未来が待っている気がします。

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